2011年06月23日
知覧顕彰の旅(その3)
さて、途中他の日記で時間をとられてしまいましたが 知覧顕彰の旅も最終回となります
永らく ご愛読ありがとうございます
さて、高千穂の朝は清々しかった 季節が良ければ名勝「国見ケ丘」に行けば雲海の下に広がる高千穂の嶺々が見下ろす事ができる それこそ神話の世界にタイムスリップしたような気になる
我々は雲海を望む事ができないので、名勝「高千穂峡」に行く事にした 旅館よりバイクで約15分ほどの距離にある 朝の高千穂神社の前を静かに頭を垂れながら進む
高千穂峡は、幼い頃に学校から旅行に来た事は覚えていたのだけれど、改めて訪れてみると初めて見るような気がした
峡谷に流れ落ちて行く、有名な真名井の滝がとても幻想的で美しかった アベックならボートを借りてこの風景に溶け込んでみるのも良かろう 当然我々バイク乗りには似合わなさそうなのでパスした(ボート代が高くつきそうだとか、美里と一緒じゃ浸水するかも というのではない)
しばらく朝の空気が清々しい高千穂峡を散策した
しずかな時間帯がお勧めです
さて、先を急ごう
急ぐ中、これは見ておきたかったのが 通潤橋(つうじゅんきょう)といって、農地灌漑のために水を通した橋である
今は、灌漑用途も少なくなり決まった時期に観光用に水を落としている
今回は残念ながらその時期でもなかったために水の通らない通潤橋となった
一度は高い橋の上から水が落ちるその様を見てみたいものだ
何とか雨に会う事無く 重い雲の下我々は九州自動車道で鹿児島を目指す 鹿児島近く桜島PAで遅い昼食を取るが、生憎の天候で桜島は影すら見えなかった・・・
まぁ、天候のことだから仕方ないね
指宿スカイラインに乗れば30分程で知覧へ到着する
毎年は日曜日に訪問するのだが、今回は旅程の都合上 平日の月曜日となったせいか知覧の町はバスもすくなく静かな佇まいを見せてくれた より一層しんみりとするんだよなぁ
いつもどおり、まっすぐ知覧特攻平和祈念会館へ行く
そして祈念会館に入る前に、すぐ隣りにある特攻観音さまにお参りをする これは終戦後、長い時間をかけて行政に建立を働きかけてくれた島濱トメさんの大きなご功労によるものだ
神妙に御霊に哀悼をささげたのち、祈念館に入る
平日ともあって、館内は空いていた
空いていたおかげもあってか、今回は特攻兵士の遺影一つ一つに目を合わせ、自分なりに対話をしてきた
普段日曜日ともなると、こんな事はなかなか難しい
今回、いつもの祈念館の所蔵展示物がすごく増えていた 特攻平和祈念館といえども日露戦争から大東亜戦争まで非常に展示物が豊富になっていたのに驚いた 後で聞いた話ではこうした資料を持っている方がご高齢になり、この先の資料の行く末が心配になってこうした会館に寄贈されてきているとの事だった あぁこうして次第に戦史を語れる人が少なくなってきているのだと実感した
この後々は、我々がこうした戦史を顕彰し思いを若い人に伝えて行かなければならないのだと重く感じた
今回もじっくりと祈念会館で思い巡らす時間を過ごした
とこしえにの像
やすらかにの像
さて、今回の宿をお願いしている「富屋旅館」へ
富屋旅館は その当時特攻兵士を子どものように労っていた鳥濱トメさんが開いた食堂 富屋食堂の横にある 説明しずらいのだけれど この旅館は特攻兵士とのお別れに知覧を訪れた兵士の家族の為に開業された旅館である 元々は別個の建物であるのだけれど区画整理などによって、この富屋旅館の大広間は富屋食堂の広間部分である
現在の富屋食堂は資料館として旅館に隣接する建物となっている
旅館は平日ということもあって、宿泊客は我々二人であった
静かな空間に処狭しと鳥濱トメさんと最後に撮った写真であろうか そういうものがたくさん展示されていた
部屋はこの時代にそぐわないくらい質素な部屋であった できるだけ往時の形を残してという女将さんの思いである 部屋には表から閉める鍵は無い 室内から閉める鍵のみである もちろん内風呂、内トイレ等もない 風呂は男女共同である 特攻兵士とともに過ごした時間を慈しむ気持ちがなければ苦痛であろう しかし我々は心に受け止めながらこの時間を愛した
質素であるが心づくしの夕食が済むと、仲井の若い女性が館内を案内してくれた 普通なら女将が案内してくれるのだろうが、この日は寄り合いで不在であった 若い女性とはいえ、この特別な旅館に働くだけあってトメさんにまつわる色々なものを見せてくれ丁寧に説明してくれた 特に当時のトメさんの愛用していた杖や、旅館に伝わる品々、トメさんの大切していた身代わり観音様などは見ていて心詰まる思いである
夜半から降りつける雨脚が夜が深まるにつれて音をたてて大きくなってきた
本当はこの日6月6日こそホタル帰るの逸話が生まれたその日である 特攻していった宮川軍曹がトメさんに「おばちゃん、俺ホタルになって帰ってくるよ」と言い 散花していったのちその夜に季節はずれのホタルとなって旅館に入ってきた話しは映画の題材になるほど有名な逸話である この6日にこの旅館に滞在することになった縁・・・・ 果たしてホタルが と思っていたがこの雨では仕方なかろう
美里は雨音が怖くてなんて言っていたが 私はこころ安らかに夜を過ごす事ができた できればまた伺いたい宿である
翌朝、身支度をしている私たちに女将さんがお声をかけて頂き、ついついトメさんのお話で泣いてしまったよ
しかしこの場所はやはり特別な場所である 保存するのも大変とのお話であったががんばって欲しい
旅館にある旅のノートにはたくさんの若者が自分の考えの未熟さを恥じ、これから頑張りたいとの思いが綴れていた 読んでいる私も力ずけられましたよ
長い夜が終わり、生憎の雨模様の中フェリーターミナルのある宮崎まで一気に走った ずっと雨であったがなぜか心は晴れ晴れとしていた
気持ちの中でこの知覧の地は自らの見つめ直すリセットスイッチの役割を持っているのだ
また、来年も訪れたいものだ
永らく、ご拝読ありがとう
永らく ご愛読ありがとうございます
さて、高千穂の朝は清々しかった 季節が良ければ名勝「国見ケ丘」に行けば雲海の下に広がる高千穂の嶺々が見下ろす事ができる それこそ神話の世界にタイムスリップしたような気になる
我々は雲海を望む事ができないので、名勝「高千穂峡」に行く事にした 旅館よりバイクで約15分ほどの距離にある 朝の高千穂神社の前を静かに頭を垂れながら進む
高千穂峡は、幼い頃に学校から旅行に来た事は覚えていたのだけれど、改めて訪れてみると初めて見るような気がした
峡谷に流れ落ちて行く、有名な真名井の滝がとても幻想的で美しかった アベックならボートを借りてこの風景に溶け込んでみるのも良かろう 当然我々バイク乗りには似合わなさそうなのでパスした(ボート代が高くつきそうだとか、美里と一緒じゃ浸水するかも というのではない)
しばらく朝の空気が清々しい高千穂峡を散策した
しずかな時間帯がお勧めです
さて、先を急ごう
急ぐ中、これは見ておきたかったのが 通潤橋(つうじゅんきょう)といって、農地灌漑のために水を通した橋である
今は、灌漑用途も少なくなり決まった時期に観光用に水を落としている
今回は残念ながらその時期でもなかったために水の通らない通潤橋となった
一度は高い橋の上から水が落ちるその様を見てみたいものだ
何とか雨に会う事無く 重い雲の下我々は九州自動車道で鹿児島を目指す 鹿児島近く桜島PAで遅い昼食を取るが、生憎の天候で桜島は影すら見えなかった・・・
まぁ、天候のことだから仕方ないね
指宿スカイラインに乗れば30分程で知覧へ到着する
毎年は日曜日に訪問するのだが、今回は旅程の都合上 平日の月曜日となったせいか知覧の町はバスもすくなく静かな佇まいを見せてくれた より一層しんみりとするんだよなぁ
いつもどおり、まっすぐ知覧特攻平和祈念会館へ行く
そして祈念会館に入る前に、すぐ隣りにある特攻観音さまにお参りをする これは終戦後、長い時間をかけて行政に建立を働きかけてくれた島濱トメさんの大きなご功労によるものだ
神妙に御霊に哀悼をささげたのち、祈念館に入る
平日ともあって、館内は空いていた
空いていたおかげもあってか、今回は特攻兵士の遺影一つ一つに目を合わせ、自分なりに対話をしてきた
普段日曜日ともなると、こんな事はなかなか難しい
今回、いつもの祈念館の所蔵展示物がすごく増えていた 特攻平和祈念館といえども日露戦争から大東亜戦争まで非常に展示物が豊富になっていたのに驚いた 後で聞いた話ではこうした資料を持っている方がご高齢になり、この先の資料の行く末が心配になってこうした会館に寄贈されてきているとの事だった あぁこうして次第に戦史を語れる人が少なくなってきているのだと実感した
この後々は、我々がこうした戦史を顕彰し思いを若い人に伝えて行かなければならないのだと重く感じた
今回もじっくりと祈念会館で思い巡らす時間を過ごした
とこしえにの像
やすらかにの像
さて、今回の宿をお願いしている「富屋旅館」へ
富屋旅館は その当時特攻兵士を子どものように労っていた鳥濱トメさんが開いた食堂 富屋食堂の横にある 説明しずらいのだけれど この旅館は特攻兵士とのお別れに知覧を訪れた兵士の家族の為に開業された旅館である 元々は別個の建物であるのだけれど区画整理などによって、この富屋旅館の大広間は富屋食堂の広間部分である
現在の富屋食堂は資料館として旅館に隣接する建物となっている
旅館は平日ということもあって、宿泊客は我々二人であった
静かな空間に処狭しと鳥濱トメさんと最後に撮った写真であろうか そういうものがたくさん展示されていた
部屋はこの時代にそぐわないくらい質素な部屋であった できるだけ往時の形を残してという女将さんの思いである 部屋には表から閉める鍵は無い 室内から閉める鍵のみである もちろん内風呂、内トイレ等もない 風呂は男女共同である 特攻兵士とともに過ごした時間を慈しむ気持ちがなければ苦痛であろう しかし我々は心に受け止めながらこの時間を愛した
質素であるが心づくしの夕食が済むと、仲井の若い女性が館内を案内してくれた 普通なら女将が案内してくれるのだろうが、この日は寄り合いで不在であった 若い女性とはいえ、この特別な旅館に働くだけあってトメさんにまつわる色々なものを見せてくれ丁寧に説明してくれた 特に当時のトメさんの愛用していた杖や、旅館に伝わる品々、トメさんの大切していた身代わり観音様などは見ていて心詰まる思いである
夜半から降りつける雨脚が夜が深まるにつれて音をたてて大きくなってきた
本当はこの日6月6日こそホタル帰るの逸話が生まれたその日である 特攻していった宮川軍曹がトメさんに「おばちゃん、俺ホタルになって帰ってくるよ」と言い 散花していったのちその夜に季節はずれのホタルとなって旅館に入ってきた話しは映画の題材になるほど有名な逸話である この6日にこの旅館に滞在することになった縁・・・・ 果たしてホタルが と思っていたがこの雨では仕方なかろう
美里は雨音が怖くてなんて言っていたが 私はこころ安らかに夜を過ごす事ができた できればまた伺いたい宿である
翌朝、身支度をしている私たちに女将さんがお声をかけて頂き、ついついトメさんのお話で泣いてしまったよ
しかしこの場所はやはり特別な場所である 保存するのも大変とのお話であったががんばって欲しい
旅館にある旅のノートにはたくさんの若者が自分の考えの未熟さを恥じ、これから頑張りたいとの思いが綴れていた 読んでいる私も力ずけられましたよ
長い夜が終わり、生憎の雨模様の中フェリーターミナルのある宮崎まで一気に走った ずっと雨であったがなぜか心は晴れ晴れとしていた
気持ちの中でこの知覧の地は自らの見つめ直すリセットスイッチの役割を持っているのだ
また、来年も訪れたいものだ
永らく、ご拝読ありがとう
Posted by exfreeman at 20:50│Comments(1)
│ バイク
この記事へのコメント
帰るなき
機をあやつりて
征きしはや
開門よ母よ
さらばさらばと
機をあやつりて
征きしはや
開門よ母よ
さらばさらばと
Posted by 大和民族 at 2011年06月24日 10:18
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