2010年05月29日
バイク乗れない・・・2
恐ろしいもので乗れない話し その2であります・・・
昔、頸椎硬膜下血腫を患うまではバイクで走る他に自分の2本の足で走り回っておりました
所属していたのは「吹田ヘルス」という市民ランナークラブです
もともと足で走るのは苦手でした
32歳の時、本屋で立ち読みしていた横で中学生がカツアゲを始めました
大人数で一人をやるのは気に喰わない性格ですからすぐに中学生を恫喝し捕まえようとしたのですが逃げ足が速くて追いつきませんでした と同時に走れない自分が情けなくて知り合いに走りたいと申し出たところ 吹田ヘルスを紹介されて走り始めたのです
最初は2kmもしんどくて・・・ でも教えられたとおりにトレーニングしていると次第に走れる距離が伸びてきました そしてとうとう10kmレースに出たのですが その時は記録よりも走れた事が嬉しかった記憶があります そして次第に距離と速度が付いてくるとハーフマラソンへ そしていつのまにかフルマラソンの世界に入っておりました そしてそこで飽き足らずにトライアスロンの世界にも入り、毎週のように試合に出てました(とても遠征費がかかったのは カミさんに感謝しております なんせ前日入りしてパーティ、宿泊、レース、交通費と半端な金額ではありませんでした)
そして10kmレースは40分の壁を破り、次はフルマラソン3時間の壁を越えようとしたある日、突然頸椎硬膜下血腫に襲われそれ以来走る事ができなくなりました
その頃はもうマラソンを映像でも見る事が辛くて現場から逃げておりました その吹田ヘルスが30周年になるというお誘いを頂き 行ってきました



いつの間にか深尾恵美さんや和田光代さんも参加されていたのには驚きました

懐かしい顔、初めてみる顔、当時の懐かしい話しに時間を忘れました
ほんと、当時は元旦マラソンに始まり 練習会、各地のレース転戦と楽しい思いでばかりです
いささかの後遺症を持っているとは言いながらバイクに乗れることは、とても幸せな事です
自分の足では走れませんが、いつまでも現役ライダーで走りたいものです
昔、頸椎硬膜下血腫を患うまではバイクで走る他に自分の2本の足で走り回っておりました
所属していたのは「吹田ヘルス」という市民ランナークラブです
もともと足で走るのは苦手でした
32歳の時、本屋で立ち読みしていた横で中学生がカツアゲを始めました
大人数で一人をやるのは気に喰わない性格ですからすぐに中学生を恫喝し捕まえようとしたのですが逃げ足が速くて追いつきませんでした と同時に走れない自分が情けなくて知り合いに走りたいと申し出たところ 吹田ヘルスを紹介されて走り始めたのです
最初は2kmもしんどくて・・・ でも教えられたとおりにトレーニングしていると次第に走れる距離が伸びてきました そしてとうとう10kmレースに出たのですが その時は記録よりも走れた事が嬉しかった記憶があります そして次第に距離と速度が付いてくるとハーフマラソンへ そしていつのまにかフルマラソンの世界に入っておりました そしてそこで飽き足らずにトライアスロンの世界にも入り、毎週のように試合に出てました(とても遠征費がかかったのは カミさんに感謝しております なんせ前日入りしてパーティ、宿泊、レース、交通費と半端な金額ではありませんでした)
そして10kmレースは40分の壁を破り、次はフルマラソン3時間の壁を越えようとしたある日、突然頸椎硬膜下血腫に襲われそれ以来走る事ができなくなりました
その頃はもうマラソンを映像でも見る事が辛くて現場から逃げておりました その吹田ヘルスが30周年になるというお誘いを頂き 行ってきました



いつの間にか深尾恵美さんや和田光代さんも参加されていたのには驚きました

懐かしい顔、初めてみる顔、当時の懐かしい話しに時間を忘れました
ほんと、当時は元旦マラソンに始まり 練習会、各地のレース転戦と楽しい思いでばかりです
いささかの後遺症を持っているとは言いながらバイクに乗れることは、とても幸せな事です
自分の足では走れませんが、いつまでも現役ライダーで走りたいものです